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ヒカキンのYouTubeデビュー作はお風呂からだった!?ヒカキンがNO.1ユーチューバーになるまで

 

ヒカキン『僕はスーパーに向かう通勤電車のホームで、涙ぐみました。あの喜びが、僕の原点です。』

 

どうやって日本一のYouTuberになったのか成功ストーリーを解説します。
これをみることによって、ヒカキンさんからパワーをもらってみなさんが新しいことにチャレンジする勇気が湧いてきます。

 

YouTube=ヒカキンさん

好きなことで生きていく=ヒカキンさんのイメージがあります。
YouTubeチャンネルを4つ運営して登録者数は1000万人以上そんな輝かしいヒカキンさん。

しかし、彼のYouTubeデビューは1本目は実家のお風呂場からスタートしました。

ヒカキンさんは、新潟の大自然あふれる田舎育ちの少年でした。

小学校のころは、人前で何かを話すことは大の苦手で、ずっと避けてきたようです。

そんな彼は小学生から高校生までスキージャンプ競技をしており、小・中学の夢はオリンピックにでることでした。

中学時代には全国8位までいきましたが、オリンピックの夢は難しかったようです。
過酷なトレーニングにも明け暮れて青春のすべてを捧げたため、「友達と遊んだ記憶がない」ようです。

また、中学2年のとき、彼はテレビCMでヒューマンビートボックスに出合い、「神だ!」と思ったという。

その日からビートボックスを自己流で勉強し朝から晩まで練習しました。

そんな彼がはじめてYouTubeを投稿したのは高校3年生のときでした。

2007年09月24日です。

新潟の実家の浴槽で撮影されたYouTubeデビュー作は、画質も悪く編集もなくテロップもありません。

10年後、この男性が日本一のユーチューバーになることを予想できた人は誰もいなかったでしょう。

ヒカキンさんは高校を卒業するとすぐ、ビートボックスのために上京しました。
東京に行ったらビートボックスのすごい人たち会えるかもしれない!

18歳の彼は夢と希望をいだいて東京にいきました。

しかし、貯金は0円、手持ちのお金はお年玉を集めた2万円だけでした。

いきなりビートボックスでお金を稼げないこともあり、彼は都内のスーパーマーケットで働きました。

仕事以外の時間は全てYoutubeに費やし、ビートボックスを練習して動画をつくりました。

会社のアパートに住みながらビートボックス動画の投稿を続けました。

初任給も少なかったので1年目は値引きシールの貼られた食パンで生活するなどして徹底的に節約してお金を貯めました。

手取り12万円。1日の食費を200円に抑え、ひたすら動画を制作する日々。

貯めたお金でYouTubeのための撮影機材やパソコンを購入しました。
かれの人生は、YouTube一色になっていました。

しかし、YouTubeで動画をアップしても数十回しか再生されない。

だれにも見てもらえませんでした。それでもビートボックスを練習して動画をつくり続けました。

 

ときどきビートボックスの路上ライブをやっても5分で警備員に止められたり、客のいないクラブでライブをしたりと結果が出ない状況が続いた。

しかしヒカキンさんは「スキージャンプ時代もキツかったからこれくらいで負けねえ」と思っていた。ヒカキンさんは「青春をスポーツに捧げてよかった」と言っています。

東京にいって2年がたちました。
そんな2010年6月17日にヒカキンさんの人生が一気に変わりました。

ヒカキンさんがつくったスーパーマリオブラザーズのビートボックス動画が大ヒットしました。

世界中に広がりました。

 

1日で20万回再生、1週間で100万再生されました。

この動画はアメリカのCBSのニュースで特集されり、エアロスミスやアリアナ・グランデをはじめとする数々の有名人とのコラボへのきかっけにもなりました。

この時の喜びをヒカキンさんはインタビュー記事の中でこのように語っています。

動画が急激に伸びていくのを信じられない気持ちで見ながら、
僕はスーパーに向かう通勤電車のホームで、涙ぐみました。あの喜びが、僕の原点です。

僕は、ただのサラリーマンじゃない。動画を作って、海外からもたくさん見られてるんだ
という意地があったから、仕事も続けられたと思います。

と語っています。

しかし、現実は甘くはなく、Youtubeからの収入はお小遣い程度でした。
まだYouTubeで生活できない、むしろYouTubeで生活できるとも考えていませんでした。

好きなビートボックスをやって、みんなに楽しんでもらえることが彼の幸せでした。
お金を稼ぐことより楽しいことをやる。それが彼の思いでした。

そんなヒカキンさんの人生を変えることになったのは、世界的なトップユーチューバーだったミシェル・ファンの講演会でした。

ミシェル・ファンは「好きなときに動画を撮影して、好きなときにその動画をアップするだけで仕事になっているの。こんないい仕事はないわよ」と話しました。

この言葉を聞いた時、ヒカキンさんのリアクション

『ものすごい衝撃でした。すっげぇ、と思って、ぼくはそうとう燃えましたね。僕も絶対そうなりたいって強く思ったんです。それまでは、「そんなに稼げるの?」みたいな気持ちで、これで生活するという考えさえなかったんです」

” 好きなことで、生きていく”というYoutubeのキャッチフレーズがありますが、この講演会がヒカキンさんが” 本当に、好きなことで、生きていくをイメージできた最初の瞬間でした。

そしてヒカキンさんは本気でYoutubeで生活できるようにすると決意した。

ビートボックスだけにこだわらず何でも面白いことを発信していこうと、現在のメインチャンネルとなる「Hikakin TV」を開設しました。

動画への取り組みも大きく変わり、Youtubeの中の人、パートナーマネージャーの佐藤さんに直接会ってアドバイスをもらうようになりました。

Youtubeクリエイター向けのハンドブックの内容を忠実に守って投稿したりと、好きなことで、生きていくために突き進んでいきます。

そしてチャンネル開設から、なんと3ヶ月後にはYoutubeの収入だけで生活できるようになっていたそうです。
HIKAKIN著『僕の仕事はYoutube』の中で、Youtubeの佐藤さんはこのように語っています。

HIKAKINさんはとにかく研究熱心でまじめ。忠実にテクニックを学び、どんどん自分なりにアレンジも加えていきました。他のクリエイターが作ったチャンネルの研究も熱心で、細かい観察力と分析能力には並外れたものがあると思います。 

並外れた分析力と真摯に動画に取り組む姿勢。これがヒカキンさんが成功した理由のなのかもしれません。

さて、ヒカキンさんはその後、徹底的に国内外のトップユーチューバーを研究してつくりあげた動画を毎日夜7時に投稿するようになります。

今ではユーチューバーが毎日投稿するのが当たり前のようになっていますが、当時はほとんどいなかったそうです。

観察して、分析して、動画を投稿するというサイクルを毎日繰り返すことで「HikakinTV」はぐんぐんと成長していきます。

2012年10月に登録者10万人、2014年には大台の100万人を達成。2016年には300万人、2018年には600万人を突破。2020年では840万人を突破しています。

現在はメインチャンネルと並行してゲーム実況の「Hikakin Games」ビートボックスの「HIKAKIN」サブチャンネルの「Hikakin Blog」と合わせて4つのチャンネルを運用しているので、すべてのチャンネルの登録者数を合わせると1000万人以上となり、日本一のユーチューバーとなりました。

 

人前にでるのが苦手だった少年が日本で1番みんなに見られるチャンネルをつくりました。

はじめは、実家の浴槽からの撮影でした。画質も悪く編集もなくテロップもありませんでした。

そんなスタートからはじまり、失敗を繰り返してチャレンジして今のヒカキンさんがあります。

そんな彼は、言っています。

まずは1本動画をアップしてほしい。
自分が好きな動画をつくってみてほしい。
好きな動画じゃないと継続できないから。
続られることがYouTubeでは大切。
だから好きなことを動画にしてほしい。

だけどもっと大切なのは、1本目をアップする勇気。
この勇気がないとなにもはじまらない。

 

人前が苦手だったヒカキンにはYouTubeが合っていました。
企画から撮影、編集まで何でもできるYouTubeが、彼にとっては最大の救いになったかもしれません。

ヒカキンさんはこのように語っています。

「人前が苦手な自分が、唯一輝けたのが動画投稿の世界でした。最近はありがたいことにテレビの仕事もいただいていますが、芸人の皆さんのテンションに僕が混ざると、雰囲気的にちょっと浮いちゃうんです。でも、そこで無理しようとも思わない。僕の動画を見たことない人に見てほしいなと思って出ています」

その後ヒカキンさんは、コロナウィルスで日本中が混乱するなか、ヒカキンさんは動画で「外出自粛を呼びかけました」

また東京都知事のオンラインで話した様子も動画にアップして、若い人たちにコロナウィルスの危険性を伝えました。

日本1のYouTuberのヒカキンさんは、いつもわかりやすく伝えてくれます。そして、飾らないヒカキンさんは全国の子どもたちのヒーローです。

 

最後はヒカキンさんの言葉でこの動画を終わります。

 

僕がどれだけ歳をとっても、子供たちを喜ばせる仕事をしていたいな。子供たちの喜びというのは大人の喜びの何十倍も純粋で、その子の人生において大きなものだから。